『ミシンと金魚』読んでから何も手につかない

『ミシンと金魚』がちょっと衝撃の読書体験だった。

半分以降はずっとぼとぼと泣きながら読んだ。私にも2歳の娘がいて、子どもの話はもう心臓が千切られるように痛むのは当然なんだけど、老いてだんだん体が動かなくなっていく、老人の身体の不自由さがこれほどリアルに追体験できるなんて。

読みながら、今はもう亡くなった祖父と祖母のことを思い出した。

小学生の頃、祖父母の家で漢字ドリルをしてたとき、「絵を書く」と書いていた私に祖父が何か言ってきた。祖父の話し方はモゴモゴとして聞き取りづらく、動作も遅く、私は聞こえないフリをした。

後日先生に修正された赤字の『絵を描く』を見て、あの時祖父をわざと無視したこと、祖父をちょっと軽く見てたことを自覚して恥ずかしくなったのだった。

あと昔、祖母は簡単スマホにLINEを入れていて、「ま」とか「わ」とか一文字だけをしょっちゅう送ってきた。それに対して私は「元気にしてます。次は8月に帰ります」などと機械的に返していたんだった。何が言いたいんだ思ってたが、今になって電話でもしたら良かったなと思う。書きたい言葉があっても、スマホの細かな操作が祖母には難しかったことを当時の自分はなぜ想像しなかったのか。

そういうことをうわっと思い出してしまった。

この小説の、老女の人生の語りにももちろん引き込まれるのだけど、私は老いて死ぬ、そのままならなさに、何かすごい読書体験をさせてもらったという気持ちでいっぱいになった。老人の境地を本人の視点から見る、本当に得がたい体験だった。

人は死ぬって当たり前なんだけど、切なくてそれを考えるのも辛くて、その瞬間瞬間の楽しいことでその切なさを散らすしかないんだな、それが人生なのだなと思った。

読み終わって表紙を見たら、これは幼い道子が見た火鉢の水面なのかなとか想像してまたぶわっと涙が出ちゃう。